第9章|不穏な空気
休日が明け、部門別研修が始まった。
俺の配属された部門は
「ネットワーク技術部門」
ちなみにネットワークとは、街中に網のようにはりめぐらされた電線のことを指している。要するに、配電を担当する部門だ。イメージしやすい業務でいうと、電柱や電線まわりのメンテナンスである。
内定通知と共に届いたパンフレットの情報、インターネットの情報を元に、第1希望で提出していた部門だった。余計に胸が躍った。
ただ俺には、どうしても拭えない不安がひとつあった。基礎研修の中頃におこなわれた電柱昇降体験の時、地上からの距離が離れるにつれ、俺の体はどんどん硬直していった。度胸ある一部の研修生は両手を電柱のボルトから放し、安全帯のロープに全体重を預ける体験もしていたが、当時の俺にはできなかった。
人生で初めて、高所恐怖症の可能性を自覚した瞬間だった。一方で、すぐに慣れるだろうと楽観視している自分もいた。
いや、違う。
高校3年間で形成されたプライドが、伸び切ったテングの鼻が、恐怖症と表立っていうことを憚った(はばかった)のだ。
俺ならできる…
俺なら大丈夫…
俺ならいける…
気が付けば、必死に自己暗示していた。
迎えた部門別研修初日
━━━━━━━━━━ 午前8時
青い作業着を初めて身に纏った俺たちは、指導員長の怒号のもと倉庫前に整列した。
大学院卒7名・大卒12名・高専卒13名・高卒45名が指導員長を凝視していた。熱弁している姿が注目を集めた訳ではなく、指導員長が持っているぶっそうな物が目を引いていた。達筆すぎて読めない15文字ほどの漢字と白いグリップテープが印象的な木刀。
指導員長はそれを道にカラカラと引きずりながら、同部門の使命から語り始めていた。
万歳地方だけでなく、全国のお客さまの灯を守ること。緊急時は現場の最前線で復旧作業に従事すること。会社の顔として、お客さまの目の前で設備改修をおこなうこと。抽象的な概念から、具体的な業務内容まで様々なことが語られた。慣れない背筋を伸ばしていたからなのか、人生で初めて俺は大人の話を真剣に聞いていた。
その後すぐ、俺たちは指導員たちの怒号を浴びながら場所を移した。敷地の隅っこにポツンとあった広大なグラウンド。私語厳禁の体力テストが始まった。あたりを見渡すと、200台は停めれるであろう駐車場、3階建ての大きなクラブハウス、5面のテニスコートがあった。浅はかな俺は、人生の勝ち組に入れたんだと改めて感じていた。
だけどすぐ、俺は負け組になった。
体育会系の部活で全国大会に出場するような、身体能力おばけがゴロゴロいた。全国大会まではいかなくとも、陸上・野球・サッカー部の出身者も多かった。テニスの練習をサボりまくっていた俺と、そんな彼らが勝負になるはずがなかった。大学院卒と大卒の同期は除いて、俺の体力テストの成績は下から3番だった。
1ヶ月以内に辞めることになるA君、見るからに貧弱そうなB君、そして俺。不安のバラエティが一気に増えた。
昼休みを挟んで再び倉庫前に整列した俺たちは、8つの班に分けられた。大学院卒/大卒の19名は1班にまとめられ、高専卒/高卒の58名は、学歴や体力テストの成績が均等になるよう7班に分けられた。
俺はD班に所属することになった。
班員8名と担当指導員2名
名前と出身地と意気込みを伝えあった。
自己紹介が進むにつれ、張り詰めていた空気は和らいでいったが、俺の不安は加速する一方だった。D班での身体能力は間違いなくドベ。学力で敵うはずがない高専卒2名。ブータロウを彷彿とさせるような、タバコくさいメイン担当指導員X。それを斜め後ろから睨みつけて不服そうにしている、無口なサブ担当指導員Y。
希望の光が差し込む気配はなかった。
ちなみにこの日で、研修という生ぬるい言葉を使うことはなくなった。
訓練の始まりである。