\ ゆっくり見てってね〜 ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ /

【小説】スポットライト(仮) ※執筆中

第12章|変化と蓄積

2013年10月

入社してから1年と半年
ついに俺たちは現場配属された。

神ベ訓練センターから1番距離が近い甘崎(あまがさき)営業所へ、俺を含めた3人が配属された。新人作業員の朝はとても早かった。配属から1年、つまり次の新人が配属されるまで、朝は1時間早出しなければならなかった。通常が8時出勤、つまり7時には営業所へ到着し着替えを終えていなければならない。

ちなみに、毎日の出勤手続きは定時になってから… 大企業だが、この早出業務夜による残業代が出ることはなかった。おそらく、上層部は見えいふりをしていて、現場の勝手な判断というテイになっていたのだろう。

「皆んなこの道を通ってきた」
先輩の言葉を無理やり咀嚼し、飲み込んだ。

朝の早出業務は、一言でいうと車両点検だった。車両ごとに決められた備品の積載有無を確認し、過不足分を調整する。タコメーターの紙を取り替え、エンジンが問題なくかかるかを確認し、車両内を清掃する。毎日へとへとになるまで訓練していた頃を思えば、どうということはなかった。

ただひとつだけ、甘崎営業所の現場チームには重大な問題があった。

現場チームは俺を含めた作業員15名、作業員を指揮する作業長6名、作業員を各現場に配置する調整役2名、役職2名で構成されるのだが、その作業長のひとりが稀に見る問題児だった。まぁ問題児といっても33歳なのだが、頭に血が昇る速度と傍若無人さがとても子供じみていた。その問題児は気に入らない作業員に対して、日常的に殴ったり蹴ったり叱責を繰り返していたのだ。

ひどいものを3つピックアップすると… まず俺の同期のひとりは顔面を殴られて奥歯が飛んだ。もうひとりの同期は赤い三角コーンで顔面を殴られ、当たりどころが悪かったのか頬が軽く裂けた。ひとつ上の先輩は腕立て伏せを強要された挙句、その最中に顔面を蹴られて失神した。

俺は外傷がついたり失神することはなかったが、もちろん被害者のひとりである。役職がオブラートに包んで注意しても「アイツが悪い、俺は教育してやってんの」という減らず口をきくため、誰も問題児に強く注意しない最悪のスパイラルが起きていた。時代錯誤というか、社会不適合者というか、精神異常者というか… 俺はこの問題児とブータロウを重ねていた。

毎日ランダムでひとりの作業長と現場に出動するため、問題児と一緒にならないことを祈る日々だった。だいたい週に1度、問題児と行動する日は本当に地獄だった。とはいえ他の作業長は厳しくありながらも優しく、営業所配属の半年前に見つかった趣味のお陰もあり、週1程度の地獄は乗り越えれるほど心に余裕はあった。

しかし、その趣味が俺のふところを知らぬ間に蝕んでいた。

趣味というは「服」である。研修センター時代からコンタクトを使うようになった俺は、次第に見た目に気を遣うようになった。高校卒業まで自分で服を買ったことがなく、寝癖もなおさなかった極限陰キャが、自分で服を選ぶようになり、整髪料で髪をセットするようになり、普通の陰キャに進化したのである。とても大きな、変化が起き始めていた。

ただその変化の嬉しさに、歯止めが効かなくなっていた。

クレジットカードの支払いは毎月10万を余裕で超えていて、給与は手取りで14万円ほど。入社1年目で知らぬ間に溜まった100万円はみるみる減少していった。バイト経験もなく、高校生の時のお小遣いは、テストで満点取ったら1教科¥500、テストで1位になったら¥1000… 自らで万円単位のお金を稼いだことがなかった俺は、服による脳内麻薬に完全に侵されていた。

気付けば預金残高は10万円を切っていた。

俺は手取り14万円に見合わない支出をし続け、9ヶ月で預金を90万円も減らしたのである。流石に焦って我に帰った俺は、毎月の服代を3万円までに制限した。「いやいや¥0にしようよ」と今では思えるが、スパッと完全に断ち切れないほど、何かに依存していたんだと思う。

そして俺は、この出来事がキッカケで「お金」というものに興味を持ち始めた。欲しい服が買えないことによる禁断症状だったと思うが、それ故にモチベーションは高かった。

最初に思いついたのは「手当て」で稼ぐ方法だった。会社員としては至極真っ当な方法で、具体的にいうと残業や宿直、危険手当などである。電柱に昇っての作業があれば、安価だが危険手当が出るし、災害復旧ともなると更に手当がつく。残業時給もかなり高額だった記憶がある。ただ、この考えにはいくつも課題があった。

まず、人手不足か相当優秀な作業員でない限り、災害復旧に新人が出動することはないらしい。それにそもそも、配属1年目の新人は宿直業務に入れないらしい。配属2年目から宿直見習いが始まると、ひとつ上の先輩社員が教えてくれた。残業に関しても、服代を稼げるほどにコントロールできるはずがなかった。

だから俺は、直近1年においては万歳電力で稼ぐことを諦めた。

次に考えたのは「深夜か休日でのアルバイト」だった。しかし、万歳電力の就業規則には、副業の類を一切禁止する旨が記されている。柔軟な思考を持った先輩に相談してみても、絶対にバレるから辞めておくよう念を押された。確かに、寮暮らしでバレずに他の会社へ出勤し続けることは、とても非現実的だった。

当時の俺は、お金を稼ぐというのはどういうことか、人生で初めて真剣に考えた。アルバイト経験すらなかった俺にはこの問題の難易度は高すぎたようで、はっきりとした答えが出ることはなかった。ただひとつ、悶々とした頭の中に疑問が浮かび上がった。

「電気をたくさんのお客さまへ届けるため、確かに設備メンテナンスは不可欠… だけど、利益を直接生み出していない俺たちはなぜ給与をもらっているのか?どういう基準で俺たちの給与テーブルは決まってるんだ?」

なぜ給与をもらっているのか… に関しては、30歳になった今では愚問だと思う。しかし給与テーブルの決定基準に関しては、当時も今もやはり腹落ちしていない。

これは「もっと給与を上げろ!」という意味ではない。会社として採算が見合う人件費の予算、それぞれの社員が最低限満足できるだろうと思われる金額、この二つだけを天秤にかけた結果という、俺にとっては根拠と納得感がなさすぎる数字だと気付いたからだ。

腹落ちしてないと自覚してからは、思考がどんどん変わった。

定年を迎えるまで週5で働いて、28歳くらいで作業長になって、30歳くらいで結婚して子供を作って、60歳で孫ができて… みたいな、当たり前だと思っていた自分の将来像に疑問を抱くようになった。考えれば考えるだけ、その当たり前の将来像にも、根拠と納得感が見つからなかったのだ。

周りにいる人は皆そんな感じだから俺も… という今手元にあるカードを組み合わせただけの、面白みも可能性もない人生を生きようとしてたんだと気付いた。そして俺は、まだ見ぬ新たなカードを、毎日こつこつスマートフォンで探し始めた。

「在宅 仕事」
「副業 おすすめ」
「収入 増やす 方法」

すると、これ以上ないくらい前傾姿勢だった俺の目には、明らかに怪しいキャッチコピーが大量に飛び込んできた。当時の俺にメディアリテラシーがあるはずもなく、何が本当で何が嘘か判断できなかった。だから自分の目で確かめようと、気になった3つのセミナーへ実際に足を運んでみた。

(1) せどりの始め方講座
(2) ブログで稼ぐ方法教えます
(3) 起業家のススメ

(1)は50万円の情報商材を売るためのセミナーだったらしく、せどりの初歩の初歩しか教えてもらえなかった。話し手がうさんくさすぎたこともあって入会はしなかったが、好きな時間に働く方法があるんだと知れた。

(2)は当時の俺には難しすぎたようで理解はし切れなかったが、アフィリエイトの簡単な仕組みや、ASPという広告会社の存在を学び、収入が青天井の世界があるんだと知れた。ちなみに100万円を払うと、このセミナー主催者の弟子になれたらしい。もちろん入会はしていない。

(3)も怪しさは満点だった。セミナーの後に別のセミナーの誘導があったからだ。でもこのセミナーだけは、俺に衝撃をもたらした。というのもこのセミナーの話し手は、王阪のオシャレ街「南彫江」にある席数300超えの大型飲食店の経営者だった。それも33歳という若さ、俺のひと回り上で、あの問題児と同年代。業種の異なる6社の取締役もしていて、月収は数百万とのことだった。

せどりやブログと違って、大型飲食店という実態はとてもイメージしやすく、俺はこの話し手に一瞬で魅入ってしまった。自分の価値観がぶっこわれるようなパワーワードがいくつも飛び出してきて、俺は無意識にそれらをノートに書き留めていた。中でも印象に残った言葉はこれだ。

「足跡が残る仕事」

補足すると、確かこんな感じの文脈だったはず。

社員としての収入だけで生活してた人は、退職した瞬間にあまりにも多くのものを失う。まず収入は¥0になる。ほとんどの部下も上司も以前の会社に残ったままなので、次の仕事では人脈がほとんど使えない。同じ業種に転職できなければ、培ってきたスキルはほとんど役に立たない。そんな人生、不安じゃないですか?

でも、自らで起業して築き上げる収入やスキル、人脈のほとんどは一生物。収入は不安定かもしれないけど、副業レベルから初めれば良い。何より自分でお金を生み出せるようになるのが大きい。コツコツと積み上げていける、そんな足跡が残る仕事を、君も選んでみないか。

こう文字に起こすと、うさんくさいというか、投資詐欺の導入トークに見えて仕方がない。でも「足跡が残る仕事」という言葉だけは革命的だった。当時の俺の状況に、あまりにも痛すぎる言葉だったからだ。

・定年を迎えて万歳電力は辞めた瞬間、収入¥0
・万歳電力はかなりの大企業、スキルを活かして途中で転職するにしても収入は減るだけ
・万歳電力で知り合った人と起業しようにも、知識スキルに偏りがありすぎる

要するに俺は、万歳電力での仕事を通じて、自分の人生に足跡を残せていけないと感じたのだ。時が経って振り返った時、この会社にいたことで残るのは預金や退職金… 老後の生活費だけなんだと、自分の人生に絶望した。目の前の話し手は、大学卒以上でしかなれない万歳電力の役職よりも収入が上で、年齢は万歳電力の中ではまだまだ若手の部類に入る33歳。

その日から俺は
「足跡が残る仕事」について
暇さえあれば考えるようになった。

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