第2章|大きな傷跡
両親は度々衝突しつつも、育児には余念が無かった。母は英才教育を受けれる近隣の教育機関をピックアップしていたし、広い家でのびのびと育ててあげたい想いあって、一時的に家賃も節約していた。
父は自らが築き上げた家業を継がせたかったこともあり、英才教育に関してはまったく興味を示さなかった。もちろん、ここでも両親は日々衝突していく。
あの日の前日も、両親は激論を交わしていた。子供の教育方針に熱心なのは結構だが、あの星夜が泣きじゃくるほどの炎上回だった。今思えば、この頃から泣き癖がつき始めたのかもしれない。
珍しく泣きじゃくる息子に免じて両親は口論を終えたが、わだかまりは残っている様子だった。とは言えこれも事前の約束「寝るときはいつも川の字で」を守った両親は、いつものように21時半に消灯し、家族3人で床に就いた。
そして、あの大災害がやってきた。
多数の死傷者、崩れ去さった高速道路、見る影もなく全焼した建物、広範囲で寸断されたライフライン、停止を余儀無くされた公共機関… 言語表現できるはずもない、とてつもない大災害。
1年未満ではあるものの、思い出の詰まった己無家の都も結果的に全焼した。隣のアパートも、そのまた隣の一軒家も、そのまた隣も… あたり一帯の建物が灰燼に帰した。
幸いなことに、家族3人は命を取り留めた。
地震が起きてすぐに目覚めた両親が、星夜を連れてすぐに避難してくれたからだ。
避難所には数えきれない人が集まっていて、その多くが涙していた。家族と連絡がつかない、大きな外傷を負った、思い出の宝物を失った、将来への不安が拭えない、大切な人が亡くなった… 泣く理由なんて無数にあった。
星夜の両親も泣いていた。
自宅がなくなったこと、各々の実家との連絡が取れないこと、拭えない不安などが理由ではない。もっと目の前のこと。我が子を守りきれなかったこと。ブルーシートに垂れた血が、両親の涙で滲んでいた。
その出どころは ━━━━━
赤ん坊の口元と、右耳だった。
あれは避難する前、まだアパートが揺れている時のこと。父が母の安全を気にかけヘルメットを渡した刹那、星夜の足元から1mの距離にそびえ立つ古いタンスが、ゆっくりと倒れ始めた。
両親の話によると、映画とかでありがちなスローモーションで時が動いていたらしい。それほどに大きな恐怖だったのだろう。一瞬のできごと、タンスは星夜の右側、少し父寄りに倒れた。「手で止めたら引き出しが星夜に直撃する」そう考えた父は迷うことなく星夜に覆い被さった。
「ドンッ」
「ゴンッ」
「グシャッ」
擬音語では表現できないような鈍い衝突音が鳴り、いくつかの引き出しが布団に落下した。父の体は仕事柄丈夫な方だったが、ダメージの大きさにしばらく動けなかった。それを見兼ねた母は、恐怖と揺れに耐えながら巨体を起こそうとした。
すると、今までほとんど泣かなかった赤ん坊から、尋常じゃない声量の泣き声が聞こえてきた。この時の両親は、星夜の異変にすぐに気付いてくれた。
母は父を救出する前に、真っ先に星夜のことを確認した。
原因はすぐにハッキリした。星夜のすぐ右側には、角が赤黒く染まった引き出しが落ちていて、白いはずの枕が赤く染まっていた。中身の詰まった引き出しの角が、右口角から右頬にかけて4.5cm、右耳の耳介(じかい)中央あたりを2.4cm、それぞれを引き裂いていた。
年季が入った重量級のタンス
引き出しの角は鋭利だった。
両親の心、星夜の体に
消えない傷が刻まれた。