第6章|成長期
俺はあの頃まで「こっち」という一人称を多用してきた。話が噛み合わない時は抵抗感に耐えながら、少しちょけて「おいら」と言ってみたり、無言で自分を指差すことで一人称を表現していた。だけど、あの頃から明らかに変わった。「俺」「僕」「私」という解像度の高い一人称を、自然と使えるようになっていたのだ。
同時に俺は、勉強に少しだけ意欲的になった。母に頼み込んで学習塾に通わせてもらい、国語/社会/英語の3科目を中学1年生の内容から学習し直した。数学と理科は授業だけで80点前後取れたこともあって、塾では学ばなかった。少しでも家計を圧迫したくなかったのも理由のひとつだ。
嬉しいことに、成果は半年で現れた。
習い事「柔道」の試合では通算1勝、中学の部活「ソフトテニス」では最大で予選2回戦。これまで成績という数字とまったく無縁だった俺は、ここでほんの少しだけ、それを意識をし始めた。といっても国語は60点が70点に、社会は30点が50点に、英語は9点が40点に上がった程度の話。威張れるほどの成績ではまったくない。
それに数字が伸びたことは
ぶっちゃけどうでも良かった。
あの頃の俺にとっては
この経験値が絶大だった。
行動が成果につながること
成果が自信につながること
自信が次の行動につながること
これらすべてが大発見で
俺の脳汁はダバダバに溢れていた。
ただ一つ残念なことが。塾に通い始めた主な理由は高校受験だった訳だが、希望の高校には推薦入試で合格してしまったのだ。受験科目は面接と小論文。成績が伸びたお陰で推薦をもらえた可能性は捨てきれないが、この頃の俺は「親に申し訳ない」という気持ちでいっぱいだった。
月々のお小遣いなんて1円もなかったし、欲しいものがあれば母にプレゼンテーションする必要があったし、家計が苦しいことを子供ながらに理解していたからだ。実際親から「合格おめでとう!でも塾行かんくて良かったや〜ん笑」と言われたこともあった。
ただ少しして「塾で得た少しの基礎学力」「それをキッカケに得た経験値」これらはまったく無駄ではなかったと、親に証明することになる。
あっ
ちなみにこれは蛇足だけど・・・
中学最後の1年間で「159→171cm」
俺はカラダも大きく成長した。
それと、保健体育というか「性教育」のテストに限っては、俺は昔から自信満々だった。順位は出ない教科だったが、学年1位だったのは間違いない。テストでは制限時間の半分以内でペンを置いていたし、空欄回答もケアレスミスも0だった。要するに余裕の100点だったのだ。
まあそれもそのはずで、ほとんどの教科書で落書きが目立っていた俺だが、そのバイブルだけは赤線やメモ書きがぎっしりだったのである。先生からテストを返還される時、恥ずかしさと嬉しさが入り混じる複雑な心境だったことを思い出す。
やはり、興味に勝る学習意欲はないのだろう(達観)。