第11章|環境
巨大な研修センターでの脱落者は、研修初月で辞職した1名に留まった。
俺たちは8ヶ月に及ぶ研修、訓練を乗り越えたのだ。他部門の研修が最長で2ヶ月だったことから、今後従事していく業務の過酷さは簡単に想像できる。しかし、次に俺たちに待ち受けていたのは営業所(現場配属)ではなかった。
神ベ訓練センターという、訓練施設に15名が配属された。残りの同期44名は「王阪北・王阪南・京斗」3つのエリアに振り分けられ、俺たちにはまたもや、8ヶ月間の訓練期間が課せられたのだ。
この施設は、現役作業員が定期訓練で訪れるための特別訓練施設でもあり、指導員の育成施設でもあった。ハラスメントへの配慮なのか、単純に教える立場の人間が違うからか、はたまた俺たちへの洗脳を終えた合図なのか… 以前までの軍隊のような厳しさはなかった。
もちろん、掛け声が小さかったり安全配慮ができていないと怒られる。でも、暴力の類は一切なかった。俺にとっては、劣悪な環境から脱却できた中学3年生、あの頃のようだった。心持ちが楽になってリラックスできるようになり、訓練に集中できるようになり、次第に自信を持って積極的に動けるようになった。
気が付けば俺は、神ベに配属された15名では上位の作業員になっていた。同期のトップには程遠いものの、下位10%だった研修センター時代を踏まえると、同じ人間とは思えないほどに成長していた。
実際、訓練期間の最終月に開催された2度目の技能コンクールでは、そこそこ重要なパートを担当した。全体時間の半分以上が電柱上での作業で、俺の遅れが全体に大きな影響を及ぼすパート。前回は電柱に昇る時間がわずかだった上に、タイムへの影響はほとんどないパート。違いは明白だった。
その2度目の技能コンクールでは、4エリアから2チームずつが出場し、計8チームで競い合った。
俺の所属する神ベBチームの結果は、王阪北Aチームとの同率2位だった。あまりにも僅差だったことから、同率という異例の措置になったらしい。どっちつかずの結果に不服そうにする者もいたが、俺にとってはどうでも良かった。前回同様に1位を獲り逃したことに変わりはないが、心の底から喜べていた。
自分が貢献していない
獲れてしまった高順位
自分が貢献できた
その上で獲れた高順位
同じ感情を、抱くはずがないのだ。
それにコンクール当日、嬉しいことがあった。無口な担当指導員Y、D班で1番優秀だった同期Z、この2人に「お前成長したな」という旨を直接言われたのである。
Xには遠く及ばないものの、Yも俺を何度も蹴って殴って罵声を浴びせていたし、Zは俺の作業のできなさに呆れ果てて無視していた人だ。そんな言葉を掛けてもらえるなんて、むしろ会話することすら想像していなかった。むず痒さと嬉しさが混在する複雑な心境だった俺は「あ、ぁざっす」と無愛想に答えていた。
ところで、なぜ俺がそこまで成長できたか。
なんて… 誇るほどの功績をあげた訳ではないが、少し考えてみた。巨大な研修センター時代の俺には、様々な要因が複雑に絡み合っていて、たぶん一切の余裕がなかったんだと思う。
克服し切れない高所恐怖症。蓄積し続ける肉体的な疲労。幼少期の経験からくる、暴力や暴言に対して無意識に起こってしまう体と脳の緊張。高校生で変に伸び切った鼻がもたらす、同期たちへの焦燥感と劣等感と嫉妬心。指導員XとY、D班の何人かからの呆れ果てた視線を妄想してしまう自分の弱い心。
果たして、この状況で誰が成長できるのだろうか。当時の俺は辞職を何度も考えるほど、毎日の訓練が辛かった。でも、他の同期たちはこの環境下でも成長し、成績を出し続けている。トップ層に限って言えば、どの訓練でも異次元の作業タイムを叩き出すし、指導員から怒鳴られている姿を1度も見たことがない。かたや俺といえば… 。
俺の出した結論はこうだ。
「環境との相性が、絶望的に悪かった」
体力・筋力・精神力が乏しかったことも大きいが、幼少期に刷り込まれた変な反射が特によくなかった。威圧的な態度を目の前にすると、何も考えれなくなる上に、体がこわばって緊張してしまう… この反射のせいで、研修センターでの訓練は本当に身が入っていなかったと思う。
だからか、こんな環境ができあがっていた。
「考えをもってチャレンジしても、その行動自体を真っ先に否定されることで、小さな成功体験やトライアンドエラーを積み重ねることができない環境」
でもたぶん、これは当時の俺が作り出した幻想で、自分で自分を苦しめる環境を作り出してしまったんだと思う。だからこそ、研修センターから神ベ訓練センターへの異動は大きなターニングポイントになった。
そこには担当指導員のXとY、D班の班員が1人もいなかった。それに先にも述べたことだが、この施設には暴力の類もなかった。俺はその解放感からか、訓練センターに在籍する指導員・先輩現役作業員に気軽に質問するようになっていて、神ベに配属された同期14名とも仲良くできていた。
ひとりで悩んで解決できずにいた、あの頃とは大きな違いだ。
気付けば俺は、試行錯誤する皆んなの輪の中に入るようになり、周囲としっかりコミュニケーションを取っていた。試行錯誤を繰り返すことで、小さな成功体験が積み重なっていった。成功体験は自信へと繋がり、それが次のチャレンジにも繋がった。その過程で訓練の成績はどんどん良くなり、ひいては技能コンクールでの結果に繋がったのである。
属する環境と自分の経験値
その相性がいかに大切か
それと同等以上に
環境をいかに作り込めるか
俺が社会で最初に学んだ
大きな教訓である。