第13章|後悔したくない
あのセミナー参加からおよそ2週間、俺は退職についても真剣に考え始めた。いつ一歩を踏み出すべきか、会社員を続けながらバレないよう副業を始めるか、決め切れずにいた。
芽衣先生との初めての三者面談から、ずっと万歳電力を目標にしてきたこともそうだが、社会的に信用のある大企業のネームバリューを捨てることに、大きな抵抗感があった。家族や友人のほとんどが羨んでくれた大きなネームバリュー、そして、たかがネームバリューがなくなることが怖いという、他に何もない空っぽな俺の人生。
自虐的な思考が、脳内を支配していた。
人前では平静を装っていたが
就業時でもひとりの時はタメ息ばかりで
仕事への熱が冷め始めていた。
そして俺は続けざまに、2度の感電を経験した。
俺の感電初体験は、土砂降りの中で高圧活線作業をしていた時のこと。ちなみに高圧というのは、各ご家庭にある低圧のコンセントとは比較にならないエネルギーを持っていて、活線というのは電気が通っている電線のこと。つまり、ミスが辺り一帯の停電や、作業者の死に直結するような危険な工事である。
俺はその危険な工事を安全に進めるため、電気を通さない絶縁シートを電線に被せていた。しかし、電気を通さないはずの絶縁シート、自分に装着しているゴム防具、電気はその表面の雨水をつたい、俺の首をチクチクと刺してきた。その痛さに作業を投げ出したくなったが、バディを組んでいた先輩は悠々と作業を進めていた。聞くと、作業員なら誰もが経験する初歩的なものらしく、先輩はその痛みに慣れていた。
ふたつ目は、電柱作業のために高所作業車の準備をしていた時のこと。安全帯を車両側面から取り出す際、一度ついた右肘が車体から離れなくなり、体ごと車体に吸い込まれた。感電すると筋肉が収縮するため、肘と脇が締まって硬直したのである。しばらく何が起きたか自覚できず、驚きのあまり声も出せなかった。幸いなことに、異変に気付いた作業長がすぐに救出してくれたため、大事には至らなかった。
なぜ車体に触って感電したか、答えは意外なところにあった。
高所作業車は作業前に必ず、地面にアース棒を突き刺す。冷蔵庫や洗濯機などからピロっと出てるアース線と同じ役割なのだが、そのアースを打ち込んだ先、道路脇の植え込みから電気が逆流していたのである。原因は植え込みの目前にある家屋の漏電。電気を逃すはずのアースから逆流して車体から感電… なんて、今でも嘘だと疑ってしまうような珍事件である。
これと同時期に、他の営業所では労災が起きていた。同期が電柱から宙吊りになったらしく、股下が大きく裂けたらしい。幸いなことに命に別状はなかったらしいが、俺にとってはあまりにもタイムリーなニュースだった。大袈裟に聞こえるかもしれないが、俺たちは一歩間違えば命を失ってたかもしれない。
作業員を引退して作業長になるまで、早くてあと7年、遅くて十数年。俺は五体満足で作業長になれるだろうか… というか死なずに作業員を続けれるだろうか… 仮に結婚して子供ができたとして、家族に安心してもらえる仕事なんだろうか… 死について考え始めた時から、とめどない不安に襲われた。
「俺の人生、何も残せずに終わるかもしれない… 」
「生涯年収2億円に、命をかける必要はあるのか?」
「高校3年間を捧げて入社したけど、そこで死ぬのか?」
「仮に生き延びても、定年後には何が残るんだ?」
「お金と使命感のためだけに40年以上も働くのか?」
「俺はこの会社に人生を捧げるために生まれたのか?」
「いや、それだけは絶対に違う」
「人生は親でも会社でもなく、俺のものだ」
研修初期からずっと刷り込まれてきた、仕事に対する使命感。この仕事には素晴らしいやりがいがあると、心底思っていた頃が恐ろしく感じるほど、悪夢から目覚めたような気分だった。ハッとしつつも、モヤモヤが残っているような、なんともいえない気分。
ついに俺は、決意した。
足跡が残る仕事に、チャレンジするために。自分が納得できる人生を、歩んでいくために。死に際に「あの時こうしておけば良かったな」と後悔しないために。辞めて何をするか全く決まっていなかったが、俺の意思は完全に固まった。
その週の金曜日の朝、深刻めな相談があると係長に伝えた。係長はいつもの居酒屋に誘ってくれて、そこで俺は最近の出来事や心境をさらけ出した。
係長デキちゃった報告かと思ってソワソワしてたけど、お前ひとりの問題で安心したわ。辞めるって決めたんやったら、退職は止めへんぞ。所内のもんには確定してから周知するけど、いつ辞めるか決めとんか?
ただただ怒られて、退職を止められると思っていた俺は、係長のユーモア混じりの優しい受け答えに歯痒さを感じ、複雑な心境になっていた。係長は情に厚いイメージがあっただけに、退職を止められないことへ寂しさと虚しさを感じたんだろうし、同時に、自分の将来の可能性にワクワクもしていたんだと思う。
2014年3月上旬
出勤最終日
所内全体での屋外ラジオ体操を終え
各チームに分かれての朝礼時のこと



皆さんおはようございます!急は報告になり申し訳ありませんが、今月いっぱいで退職することになりました!これからは、自分の飲食店を経営できるよう、社長になれるよう、人生の舵を切っていきます!店ができたらぜひ来てください!短い間ですが、お世話になりました!
20名ほどの輪の中で、俺は退職の意を簡潔に伝えた。何も感じていない様子の寝ぼけ顔の人、バカにしたようなニヤけ顔の人、ひやかしのような声をかけてきた人、急に冷たい態度をとるようになった人、変わらず接してくれた先輩、同じような道を俺も考えてるけど踏ん切りが付かずにいる、そう心中を明かしてくれた先輩… 反応はさまざまだった。
ネガティブな反応が大半だったことは俺にとって良かったようで、俄然やる気が出てきた。ここで退職したことを、一切後悔しないような人生にしてやる!そう、自分の心に誓った。






